木村克己の「サケのカイセキ」vol.5
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よく考えてみると、人と器の関係のそもそもは、どんな形でスタートしたのだろうか。
やっぱり、水をどうやって汲み、口に運ぶのかという命題に行き着かざるを得ない。
まずは両の手のひらですくう。今でも山の湧き水などはこれで飲むのが一番うまい。
次の段階では、住環境に左右されるだろう。海の近くでは二枚貝や巻き貝などの貝ガラがあっただろうし、乾燥地帯には大小の動物の骨や角が手に入る。
山では木の葉を重ね編んだり、樹液で濡れを防ぐ工夫をしたと考えられる。
里においては土をこねたり、木を石器でくり抜いたりしたことだろう。時が下ると「器」の製造は当時のハイテクを駆使した形態へと変転してゆく。
金属の刃や糸に硬い石の粉末をまぶして木や竹を輪切りにするなどの知恵が器作りを楽に大量に得ることを可能にする。
次いては高温の火を用いた陶磁器、ガラス、金銀、すず、銅の加工、延板へと移って行く。
そんなことで人類は以降、漆やプロポリスなどの塗り物、紙器、プラスティック、更にアルミニウムやチタンといった今世紀の素材へとその歩を進めて行くことになる。
一方、器の形状については、素材の加工性や強度、技術や工芸的工夫などの要因によって、
シンプルなものから極めて複雑、華美な、持ち手のステージを象徴するまでが洋の東西を問わずに現われてくる。
中国の黒曜石を透けるまで薄く削り抜いたものなど驚嘆に値する美しさと機能を我々に見せてくれる。
また現代においては必要最低限の容量を注ぐことのできる大型ワイングラスの出現を見ることになる。しかし、器の使命とは、そこにつがれた液体を最も美しく、主体を成すことにあるのだ。
日本ソムリエスクール東京校長木村克己