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木村克己の「サケのカイセキ」vol.6 |
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器の命題 |
前号に続き、アタリマエのコトを大真面目にもう一度、見つめなおすシリーズ。 |
「人と器の関係」を掘り下げたいと思う。 |
それは、心の時代と言われながらも、反面、今日のようなプラスティックスでインスタントな現代であればこそ、我々は、先人の生活様式における食の価値観を検証し、飲食のありように、 |
見直しをすべき曲がり角に立っていると実感しているからに他ならない。 |
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器の意義 |
酒に限らず、大方の食品、飲み物は、それらを、器に盛り付ける、よそう、或は注ぐといった手順を踏むことによって、まずは物理的に口に運んで食べる、飲む(呑む)行為を楽にし、もって摂取し易くすることができる。 |
食品の場合では、鍋や釜、又は炎から引き出された食物の価値を変容させること。つまり、光にさらしたり、複数の食材や工程を違えた、味・食感の異なる調理品を同一面に配置する、浮かべるなどして、立体感を伴った、美しく見せる工夫。その逆に、ふたや覆で一時的に隠すなどで風情をもたらす。又、ある適切の温度にさますなどの操作。これによって食品は食糧から料理への変換がはかられるのである。 |
更に言えば、器そのものの材質や造形、質感、作者、歴史性などの価値を食品に装わせることによって、料理そのものと、その食品を供する空間全体及びその料理を造り提供する人々、料理を食する人の心理面と見かけ上の価値を上げるのである。 |
そうして指や箸、ナイフ・フォーク・スプーンなどでつまみ上げる。混ぜる、すくい取ることから口内料理へと事をはこばせるのである。 |
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飲み物の為の器に求められる条件 |
スープや汁物以外の流動食品、飲み物については、更に違う次元の要素に考察を加えなければならないだろう。 |
湯水、茶類、乳類、酒類などの飲料は、まずは流体であるからして、それを注ぐ器は洗浄であり、破損壊・熱・溶解に対して、ある強度を持つこと。漏れない、こぼれにくい、安全といった消極的条件が満たされていなければならない。 |
これには、人の指が一本は入る口径をもち、洗浄が容易であるなど美観のみならず、微生物学的な清潔をメインテナンスできることが含まれる。又、無臭であること。青竹やひのき材など、注がれた飲み物に、あえて香りや色、味を添える目的をもった木工品を徐き、不必要な匂いを溶出しないことである。したがって、イカ徳利や、エビせんべいの猪口などは、かなりのキワモノであると言える。 |
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器の取りまわし性 |
第二に飲み物の器は基本的に手で支え持って口元に動かすことを前提としていることから、取りまわしが良いこと。 |
器を傾けるなどによって注がれた中身が重量バランスの移動により不安定にならない形状であること。液体を注ぐ時の加減によって倒れてしまうものが存在する。これらは造形・デザインがいかに美しくあっても器ではない。 |
第三にストロー状の器具で飲用することに限定していなかぎり、器は飲み手の口元、くちびるに安全、素直でスムーズに口に流れて行く構造をもっていること。 |
器の口元が花びら状のフリルになっていて、飲もうとすると口の両端から液がこぼれてしまうワイングラス。器を傾けてゆくと「コポン」とひっかかって音の出るリキュールグラスなど論外である。 |
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注がれた「中身」への器の責任 |
第四に温度の概念が求められる。 |
これは器の材質によるところが大きい。
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茶や日本酒、一部のカクテルで、熱くして供する飲み物の器は、銅や真ちゅう、ステンレスなど蓄熱性の高い金属では、くちびるをやけどする恐れがある。
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反対に、熱い冷たいといった温度感覚をマイルドにする材質として、骨や角、多孔性陶磁器、漆などの塗り物と木工品があげられるだろう。 |
次にいよいよ器の機能について論をすすめていくこととしよう。(続く) |
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日本ソムリエスクール東京校長木村克己
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